文化・社会よもやま話

新旧大陸10ケ国余を駆け巡った社会人類学者の文化あれこれ

色はいろいろ

                              三田千代子

先日、トルコのイスタンブールで警察車両が爆発されたニュースの映像がテレビで流れた。現場立ち入りを禁止する赤白のテープがほんの一瞬であったが目に入った。すると、かれこれ三〇年程前の経験が蘇ってきた。

 イタリア、ミラノに滞在していた頃のことである。ある月曜日の朝、車を運転して裏通りを通ると、「紅白」のテープが道の両側で巻かれたままになっていた。それを見て私は「昨日の日曜日、この辺りでブラスバンドが繰り出すパレードでもあったのだろう」と、何となく心を弾ませながら車を走らせていた。すると、道の奥の真ん中に「紅白」のテープが巻きついた杭が何本も立っているのが目に入った。見ると道の真ん中に大きな穴が開いていた。弾んでいた私の心はたちまち消沈してしまった。気が付かなければ、車は穴に突っ込んでいたのである。道の真ん中に穴が開いたままでのパレードは、さぞやりにくかっただろうと勝手な想像をした。それにしてもパレードが終わったのに、なぜ主催者は「紅白」のテープを処分しておかなかったのだろうと訝った。周りを見回すとこの裏通りに入り込んできている車は他にない。私の車だけである。そこではたと気が付いた。そうか、イタリアでは赤と白のテープは、「ハレ」を意味する「紅白」ではなく、注意を喚起する「赤白」だったのだ。

 色は社会や文化によってその意味するところが違うのだと、この時、身を以て体験した。同じ景観や空間を眺めていても、文化が異なれば人それぞれ感じたり思ったりしていることは違ってくるのだ。

 そんな文化による色の意味の違いを一枚のブラジル・モダニズムの絵を通じて体験した。キャンパスの中央の上に大きな黄色の丸が描かれ、その右下には巨大な一本のサボテンが描かれ、それをバックに性別不明のデフォルメされた人物が裸で座っている。小さい頭に大きな鼻、小さな肩に大きな腕と手足の人物。四〇〇年にわたるヨーロッパ文化の支配から解放され、ブラジル固有の文化の誕生を宣言した代表的な作品である。

 この大きな黄色の丸を描いた絵は、月が上り灼熱地獄から解放された農民がサボテンの繁るサバンナで一息ついている光景を描いているのだと思っていた。確かに、サボテンと奇妙な姿の人物というモチーフは、それまでのヨーロッパを範とした絵画には見られないものである。

 ところが、数年前、メキシコ事情に詳しい友人と雑談していると、メキシコでは太陽を黄色で描くことを知った。そこで、気が付いたのである。あの大きな黄色の丸は、灼熱の太陽を描いていたのだ。なるほど、サバンナのサボテンに灼熱の太陽、さらに性別不明の大きな人物を通じてブラジル固有の光景を描き、ヨーロッパと決別したのである。

 私は明らかに、黄色い太陽を描く文化の人達とは全く違った形でこの著名な絵を眺めてきていたのである。日本の文化では、「日の丸」が端的に示しているように太陽は赤と認識されてきた。〽真っ赤に燃えた太陽だから…とさえ歌われたように、日本人にとって太陽を象徴する色は赤なのである。

 ことほどさように、色が何色なのかを理解してもその色が意味していることを理解することは、なかなか難しい。

 ところが、ミラノで経験したように、危険や注意を意味する色は今日のようなグローバル化の時代には普遍的でなければ恐ろしい結果を招きかねない。

 十五年程前、大西洋に浮かぶポルトガルのアソーレス諸島を訪れる機会があった。道路を挟んでそれぞれ一棟ずつビルが建設中であった。一方のビルの周りには赤白のテープが廻らされていた。なるほどこれはヨーロッパの「赤白」だ。ところが、今一方のビルを見ると、黄色と黒のテープが張り廻らされてあった。

 アソーレスには、米国でよく目にする黄色と黒の組み合わせとヨーロッパの赤白とが同時存在するのだ。ポルトガルからアソーレス諸島を超えた先には新大陸の米国がある。第二次大戦後に設立された北大西洋条約機構ポルトガルが加盟したことにより、アソーレスには米軍基地が建設された。こうした地政学的状況から米国の黄色と黒とヨーロッパの赤白とが、この地で出会ったのであろう。かくして、危険や注意を促す二組の色の組み合わせが同時存在することによって、とりあえずは色の意味が普遍化したといえよう。

 今日、日本でも、注意や危険を喚起する意味で黄色と黒色の組み合わせを用いると同時に、赤色のコーンも目にすることがある。アソーレスで起こったことが日本でもみかけられている。

 かくして色は文化によって異なるのみでなく、時間とともにも変化しているのである。

                            53行(2016・06・13)